ファッション化するオタク文化 ~家族の再々集結を目指して~

FF7R3作目のタイトルはRE:END、ぜってーこれ。間違いなくこれ。確実確定確信でこれ。もし違ったら、僕に顔射してもいいし、されてもいいよ。マジで顔射賭ける。ビュルルルッッ!

離れても見つめてる 心はそばにいる


スケベしたい。



川栄卒業とか。
つーか握手でてなかったのか。トラウマから出撃不可なのか、運営が止めてたのか。
まぁりょすす的には川栄はいてもいなくてもって感じなので(鼻ほじりながら



気づいたら生駒と玲奈の兼任が解除されてた。
おまけに玲奈は総選挙辞退で卒業ルートとか言われてるが、卒業されちゃうともう推す気なくなっちゃうのよね。
僕に推されたきゃ卒業はやめな。やめな。


AKB調べ。
熊田曜子の服が透けてパンティーが見えたこと以外、印象のない最終回だった。


グッバイ、Gレコ。
最後まで不殺の姿勢の上、バッテリー切れのベルでようやく相打ちに持ち込めたマスク。
日本だけじゃなくて、他の地域がどうなってんのかも見たかった。ゴンドワンとか結局名前しかでてきてねーじゃん。
まぁこの人気じゃ続編はないだろうけど。今度はでこにアンテナついてるガンダム頼む。



すみれ久しぶりに見たわ。元気にやってるなら、それでよい。
ちんこのスタジオライブだと鷹柳の髪がだいぶ明るい色になってたが、サケカスって黒髪が売りなんじゃなかったっけ。
結局JR頼みってことは、綾巴とあと何だっけこないだセンターだった奴、あいつらじゃやっぱパワー不足だったのか。



今回は難波の方がいいね。
これでババア卒業か。難波三幻神も見納め。うおおおおお頑張れババア!俺がついてるぞ!



感想なんか。
ななせまるの振り乱した髪が良い。まいやんは今後は前髪はあれでいくのかね。まぁいいですけど。ななみんはあんまり髪を横に展開しない方が好きなんだがな。もっとぺたっとしてる方が。
イヴァ坂になっちゃうとななみんがズボンになるのはもう仕方ないのか。ガーリッシュで頼むよ。
前回は「なぜこんなことをしてしまったんだ…」っていうアレだったけど、歌と踊りだけのMVだとそれはそれで物足りなさも感じてしまうのは、糞MVに慣らされ過ぎたせいか。
でもこの曲でドラマやれ&制服着用遵守だと、自殺と絡めた学校のイジメネタぐらいしかできないからやめたのかね。センターであるななせまるを他のメンがいじめるって展開はクレーム来るだろうし、全員いじめられる側ってのもここまで大人数になってくるとギャグにしか見えないか。
シングル曲が毎回こんなのな乃木坂も気の毒っちゃ気の毒だが、個性でもある。ライブではカップリング曲の方が盛り上がりますとか、せっかく晴れ曲だしても不倫はイージーになっちゃうし。誰かさんのせいで。
まぁイジメネタじゃなくて、「なんで自分は生きてるんだろう」ってメンが考えるような内容でもよかったと思うが、画的に盛り上がるとこを作るのが難しそうね。やすすはその手の好きそうだし、誰だって思春期エイジにはそういう悩みにぶつかんだろうから、メインターゲットの一つにも共感してもらいやすそうだけど。
で、なんで自分は生きてんだなんて考えるのは、大抵挫折や失敗があった時だ。物事がうまくいってる時はそんなこと考えない。ここで何度目の青空かとの繋がりを作れたのではと思う。
青空で歌ってたのは、今生きてる時間を、目の前の青春を無駄にするな、命を垂れ流すなっていうことだった。じゃあ何でもいいから、恋愛でも部活でも勉強でも、自分が夢中になれるものを見つけました、実際にやってみましたで、それでみんながみんな自分が望む結果を手に入れられるかというと、そうではないのだ。
そこで少年少女は挫折を味わう。それは人生で初めての本当の挫折だ。誰かに言われるがままにやってみて、失敗したというのは挫折のうちには入らない。誰に与えられたものでもない、自分で見つけた願いだった。ただ指を咥えて見てただけじゃない、俺は願いを叶えるために努力したんだ。なのに、なぜうまくいかなかったんだ。俺ってこの程度なのかな。これからもうまくいかないことばっかり続くのか。じゃあそんな俺の人生ってなんなんだ。周りには成功してる奴がいて、そんな奴と比べれば自分の価値なんてひどく低いように思える。人生に、命の価値に差があるように思える―。
そこでまだ自分の願いに必死にしがみつける者もいれば、今まで目標にしていたものを手放してしまって何の為に生きてるか分からなくなってしまう者もいるだろう。でも、どちらを包むのも暗闇だ。立入禁止の屋上で、街灯の無い河川敷で、誰もいない冬の海岸で、君は独り悩むのだ!
悩んで答えがでるかと言えば、それも分からない。だが、必ず夜は明ける。ある意味で無慈悲だ。こんな気持ちで輝くものなど見れない、見たくない。
その時、地平線から差し込んだ光が暴力的に君に投げつけてきた言葉こそ、「命は美しい」なのではないか!?
根拠なんて何もない。そんな言葉一つで状況は好転しない。現実は相変わらず自分に厳しい。でも、それでも。お前は美しい。お前は価値がある。
屋上で、河川敷で、海岸で、独り見た夜明けの陽には、そんな押しつけがましいくらいの力がきっとあって、そういうもので気持ちが昂ぶるのが人間なんだ。そして夜明けの光に背中を押されながら歩いてるうちに、いつの間にか挫折も悩みも過去のものになっていく。その過程で、新しい目標が見つかるだとか、挫折や後悔に自分なりの答えをだして決別できるだとかは問題ではなくて、そんなものがなくても、ただ日々の暮らしに追われて雑事をこなしているだけで、全て過去に流されて、あの時確かに感じていた苦しみから放たれるのである。そこに命の逞しさがある。
だが、逞しさとは鈍感でもある。苦しみを忘れるくらいに鈍った感性では、青空には気づけない。気づけば痛みなく命を垂れ流す日々に戻っている。
そして再び何かのきっかけで青空を見上げて、何かを決心する。何かを始める。その先に待つのはまたも挫折か、それとも―。
それでも若人よ、円環の日々を恐れるな。命の美しさと逞しさに任せよ!