ファッション化するオタク文化 ~家族の再々集結を目指して~

FF7R3作目のタイトルはRE:END、ぜってーこれ。間違いなくこれ。確実確定確信でこれ。もし違ったら、僕に顔射してもいいし、されてもいいよ。マジで顔射賭ける。ビュルルルッッ!

たとえ全てが 今、壊れてもいい

この手を離さずにいられるなら

アイガアイヲー
シャネルやらグッチやらっていうブランドのロゴが入った紙袋を持ち歩いてる牝イヌをよく見かける。
あの紙袋ってのはそこのブランドもんを買わなきゃ貰えないものだから、あたしゃこのブランド買いましたっていう無言の自慢になるってことなのか?
でも、だったら本体を持ち歩いた方がよっぽど自慢になるんじゃないのか?本体持ち歩くと傷つくから、スケープゴート兼遠隔自慢で紙袋なのか?
まぁ金をかけなきゃ手に入んない紙袋なんだから、紙袋自体もある程度の価値のあるものって認識なんだろーが。
頭ん中によ、ウジでもわいてんだろ、そういう便女って。
まずね、みっともないと思わないの?見苦しいと思わないの?
紙袋だぞ、か・み・ぶ・く・ろ。紙きれの袋を後生大事に持ってるって、上野の汚物ホームレスだよ。
画面の前のお前、お前だよ。お前が通勤時にブランドもんのゴミ袋を恥知らずにも使う便女であるならば、お前はうんこ臭い浮浪者と同じだ、全く同じだと僕は断定している。恥を知れ!
お前らのような便女であっても、エロ本祭りで嬉々として大量の紙袋を狩っている人間を見れば、図々しくも気持ち悪いなどと生理的嫌悪を抱くのであろうが、お前らも同じことをやっているのだ。紙袋に描いてあるのが、ブランドのロゴか、顔の面積の半分以上を目が占めている奇形かのどちらかという違いでしかなく、本質的には何も変わらない。
また、紙袋を持ち歩いたところで自慢になど繋がるはずがない。貧乏臭さが増していくだけだ。
紙袋をわざわざ持ち歩く、選んで持ち歩くという時点で、その紙袋を特別なもの、価値のあるものと考えている証拠である。紙袋など商品のおまけにすぎない。そんなものに価値を感じて自慢の道具に使ってしまう浅ましい姿勢が、貧乏人の必死な背伸びになっているとなぜ解さない。みっともなく震える汚ねぇ足に気づいてないのは一人だけ、お前は「私はみっともない貧乏人です」と書かれた看板をぶら下げてるのだ。
真のシャネルユーザーであれば、シャネルを空気として、そこにあることが当たりまえのものとして扱うだろう。物を持ち歩くためのものが必要であれば、金を払って買ったシャネルのバッグの出番なのだ。紙袋など使うのはあり得ない。バッグを買って、結局使うのが紙袋では本末転倒である。
真のシャネルユーザーになるために金持ちかそうでないかは関係ないし、シャネルを雑に扱えと言っているわけではない。買った物が一流品でも、買った人間の心持ちがルンペンであれば、汚らしさしか残らないと言うことを言いたいのだ。
しかし、一番気に食わないのは、ブランドの紙袋には価値がある、持ち歩くことが格好いいことだなどと、何処の馬の骨が決めたかもしれぬことに疑いを持たずに追従できる俗物の性根か。
ちなみに、シャネルが一流品だというのは一般的な社会通念であり、僕の価値観とは異なるということは言っておく。